SNSで戦争反対を声高に言うものは考えなしのバカだというので、何を考えているのかを書き出してみた

表題のとおりである。

私はとくに影響力のない、専門知識もない一般市民だが、SNSで戦争反対を表明することを無意味だと思っておらず、そして軍拡や核武装をこそ無意味だと思っている。

SNSをやっていると「戦争反対の発信は口先だけの欺瞞で、また十分な軍備や核兵器を持たないのは非現実的な理想論、お花畑である」というような意見をよく見かける。だから戦争反対なんて言っているのはバカなんだそうだ。

そういう人たちにとっては、私のようなものは1たす1を3と言い、太陽が西からのぼると信じているように見えるのだろうが、私としても突然脳内にお花が咲き乱れてこうなったわけではなく、どういう経緯でそんな「バカな考え方」を採用するにいたったのか一応の理由はあるので、エッセイとしてしるしておこうかと思う。

なるべく思ったとおりにぐだぐだと書く。私はいつもぐだぐだと考えているからだ。

 

【注意】

これから書くことはあくまでも「私が」どういった情報をどう消化してどう考えているか、ということです。

あくまでも日本にただのいち有権者として暮らす中で、どういう態度で私が今を生きるか、それを「私が」定めるための「思考過程」をしるすものです。私は歴史学政治学、軍事についての専門知識を持ちません。中にはあやまった認識や情報が含まれているかもしれませんし、解釈も大変稚拙です。世界情勢は難しく深刻です。お読みの方々はどうかそれぞれの責任において、ご自分で情報を取捨選択・判断してください。

また、これはあくまでも「今『日本』に暮らす」「平凡ないち有権者としての『私』」が考えていることなのであって、もし住む国や立場が少しでも異なれば、ただでも正当性があるかどうか分からない素人考えが、完膚なきまでの見当違いになることは明白です。安易に他国と比較したり、他国の状況にあてはめたりすることは全くの無意味だと思いますので、そのお心積もりでお読みいただきますよう願います。

 

【お願い】

これは私のワガママなので黙殺いただいてもかまわないのですが、この文章を読んでいる時だけ、分からない単語があったり、「なんでこいつこんなこと言ってるんだ?」と思ったら、そのことについて逐一調べながら読むようにしていただけるととても嬉しいです。書籍はもちろん、ネットで検索できる範囲でも構いません。Wikipediaでもいいです。なにも見ないでなにか言うよりWikipediaはよっぽといいです。

複数の記事を読むようにしてください。その複数の記事はなるべく書き手がばらばらで、なるべく異なった立場から書かれているとより嬉しいです。

youtube動画ではなく、文字情報を参照してくれるとすっごい嬉しいです。

「こいつの言っていることは間違っている!」と思ったときは、「間違ったこと言ってらあ、バカだなあ」「こんなことを言うやつはバカに決まっている」というクソリプ感覚で終わるのではなく、「自分はこう思う、なぜならこんな理由があるからだ、こいつの言っていることはここがこう違う、だから間違っている」といちいち筋道立てて考えてくれたら嬉しいです。

 

 

 

ではまず、「軍拡・核武装が無意味だと思うようになった」理由から。

主に以下の3点による。

 

①日本の軍拡・核兵器所持が抑止力としてはたらくとは思えないこと。

②日本が軍拡・核兵器所持をできるとは思えないこと。

③日本が軍事力・核兵器を有効に使用できるとは思えないこと。

 

まず①と②。

私は日本の軍拡と核兵器所持は抑止力にならず、また日本は軍拡も核兵器を持っておくということすらも出来ないと思っている。

 

日本が軍隊を所持したとして、外国からの侵略行為や攻撃の抑止力足りうるほどの軍事力とはいったいどれほどのものなのだろうか。予算をどれだけつかって何をどれほど持っていれば外国に攻め込まれないのか。

もちろん話はそんな単純ではないのでそこに答えはないだろう。攻撃元や救援要請先として想定される諸外国との相対的な問題だろうし、もとより私は専門家ではないので軍事力についての具体的なことは皆目わからないし、それを考えるのは私などの仕事ではない。

 

私に分かるのは、日本が周囲を海に囲まれていることと、資源にとぼしいということぐらいである。

 

軍事力をつかって国を守るとはどういうことをさすのだろうかと考えるのである。

ミサイルが飛んできて迎撃することだろうか。飛んでくる飛行機を打ち落とすことだろうか。何日かそうやっていれば攻撃した側はひるむだろうか。もちろん相手もこちらもそこまでバカじゃないから、事態はもっと複雑だろう。

「敵国」が「上陸」してきたときに軍事力が真価を発揮するのだろうか。

「軍事力で日本をまもりたい」と考えている人たちが想定している敵国は、そして他国に侵略行為をはたらくような国は、おそらく人口・資源の両面において日本より条件がいいだろう。別に私は特定の国家のことを言っているわけではなく、単純に日本の国土面積が世界的に見てけして大きくはない、ということからそれを言っている。し、物事は最悪の事態から考えていった方がいいと思っている。

数に勝る戦略はない、というのはどれだけ科学の発達した現代においてもくつがえってはいないと思う。

数とは時に戦力であり、経済であり、人口であり、国土面積でもあろう。

どんな兵器でどんな戦い方をして、というのはまったくわからないので、何かその不利を克服できる秘策が世の中には存在するのかもしれないが、そんなことはいち市民には知り得ないことだ。あくまでも身の丈で考え続ける。

ぶっそうな話だが単純に双方がひとりずつ刺し違えていったら、高確率でこちらの人数が先に0になる。

 

そのための核か、と思うが、あくまで自国の防衛のみを建前とするなら、他国に侵攻するわけではないから戦術核の出番はあまりなく、最終的な論点は戦略核になるのだろう。と思っている。(逆に言えば「核共有」は通過点なのではないかと思っている)

現代の国際社会において、他国を侵略してやろうなどと考えるような国は、核兵器による抵抗に直面した場合、自国の兵士や国民を核の脅威にさらさないために攻撃をやめて退こうと考えるのだろうか。それとも、徹底的な全面攻勢の口実ができた!と考えるのだろうか。どちらの確率が高いだろうか。

他国に攻め込んでやろうと思っているような国は、自国の兵士や国民の命を第一に考えているものだろうか。

あやまたず相手の国土に核ミサイルを撃ち込むことができる、と仮定したとしても、相手の国と日本と、国土面積はどちらが大きいだろうか。1発の核兵器でその国は完全に機能不全におちいるだろうか。

相手が日本より国土面積・人口・国力が小さかったとして、今度はそんな無謀な国に冷静な判断力は残っているものだろうか。どうせ世界中から孤立しているんだからと自暴自棄に襲い掛かってこないだろうか。

いずれにしても資源のない日本のことであるので、同盟・連帯してくれる諸外国との連携が必要不可欠なわけだが、自由につかえる核兵器を持った世界唯一の被爆国に連帯してくれる国はそのときあるだろうか。

独自の核兵器を持っているのだとしたら、アメリカとの関係は悪化しているだろう。

核共有すれば解決するのかと調べたが、どうも共有対象は戦術核で、しかも1国の裁量では使用できない。核共有によって得られるものは、アメリカの許可によって日本の頭上で核兵器を爆発させて相手を迎撃する権利、というわけで、そんなんもらってもどうしようもない気がする。

だから事情としては自由につかえる戦略核を持っている状態で、そんな未来はおそらくすさまじい日米関係悪化の先にあるのだろうし、となると多くの民主主義国家との連帯は現状よりものぞめないことになる。

(現状の日米関係を完璧だとは思っていないし、とくに米軍基地問題はこのままでよいわけがないと思っているが、際限がなくなってしまうのでここでは触れない。)

 

日本は世界唯一の被爆国として非核三原則を打ち出し、実態はともかくとして世界の非核化の象徴として期待されてきた。

そして世界は核兵器をなくす方向に動いている。ここでいう「動いている」というのは、例えば国連で「核兵器禁止条約」のような条約が実際につくられているということを指していて、その実態、あの大国は批准してないこの国は署名してないというようなことはあるにしろ、方針としての非核化・核軍縮は確実に存在感を増している。

「国連は役に立たない」「国連がなんぼのもんじゃい」みたいな自称現実主義者の発信もよく見るが、「国連が言ってることがなんでも正しいかどうか」とか「国連はなんでも解決するスーパーミラクル団体かどうか」という目で見て、「そうでないから国連は役に立たない」とか思うのはたぶんけっこう意味がなくて、「国連での立ち振る舞いが他国にどういう印象をあたえるか」でとらえた方が実際的でよいのかなと思っている。

それは「国連での態度が他国からの孤立や制裁につながりうるか」ということで、それは十分にありうる話なので、「国連がなんぼのもんじゃい」「役に立たない」とは私は思わない。

核兵器を所持しているということは国連での立ち位置も今とは大幅に変わっているのだろうし、おそらく多くの国は日本に失望している状態だろう。

 

それは「理想論」「建前」「お気持ち」とか言っている場合ではなく、例えば日本への連帯を表明した政治家が自国民の反感を買う、すなわち票を失う、という種類のことだろう。

とかく理念や感情の話をすると「非現実的だ・お気持ち・お花畑」と揶揄する向きがあるが、それならばなぜ「士気」という言葉があるのだろう。なぜ「士気」の高い軍隊が善戦をし、「士気」の低い軍隊が敗走するのだろう。

戦争をはじめた国の首長がながながと戦争の理由と「大義」とを説明してみせるのはなぜだろう。

世の中が完全なる利害関係のみで成立しているのであれば「大義」なんて別に要らないだろうし、大使館の公式SNSアカウントで各国の国民に向かい、自国の正当性をかき口説くような投稿をするのは「時間の無駄」のひとことだろう。なぜそれをするのだろうか。

それに単純に、過去に侵略戦争をやらかしてきちんと反省したように「見えない」国が(もう十分反省してる!とか反省する必要がない!とかあとどれくらい反省すれば気が済むのか!とかは別にどうでもよくて、あくまでどう「漠然と見られているか」という話)、核兵器を所持する。日本に失望とか以前に、何をやらかすか分かったもんじゃない、と思われる気がする。

とにかく、理念とお気持ちを何よりも忌避する自称現実主義者のかたがたが言うように日本国憲法を変えれば簡単に核兵器が持てるとは私には思えない。いや、持つには持てるんだろうが、核兵器を所持する安心感が、海に囲まれた小さな島国がひとり孤立することのリスクを払拭できるとは思えない。まあ「私は」払拭できないだけなので、理念とお気持ちを忌避する自称現実主義者のかたがたは大安心するのかもしれないし、日本が核兵器を持った上で、世界中を味方につけるとっておきの外交秘術があるのかもしれない。そんなことは私にはわからない。

繰り返し思い出したいのが、この海に囲まれたちいさな島国は資源にとぼしいということだ。

戦争状態が一定期間継続する場合、この島国のために撃ち落されたり沈められたりするリスクをおかしながら物資を供給してくれる他国の存在がどうしても必要になるだろう。物資のみでなく戦力としての人員もそうだ。軍拡したい人たちは、軍事予算を増やし兵器を増やしたとしてそれを扱う人的資源はどう増やそうと思っているのだろうか。国民皆兵制だろうか。それでも足りないと思う。

 

どうして80年前から、誰も補給の心配をしないんだろう、という純粋な疑問がずっとある。

 

ちょっと間違えばすぐに干上がってしまうような国が持っている軍備や核兵器は、抑止力になるのだろうか。

自国の防衛を他国任せにするのか!とか自分の国は自分で守ろう!とかのシュプレヒコールはたぶんどうでもよくて、この国が一国のみの単純な軍事力と戦闘行為とで他国に対抗するのは現実的に可能かどうか、だと思う。別にできなくても、それで情けないとか思うような必要もなくて、国土面積とか地理的条件とかの要因も多いのだから、そんなのは日本が情けないせいじゃない。だから外交というものがあるんで、要するに日本に攻め込むような国はヒンシュクものだ、となるべく多くの国に思わせて、何か起こった時に日本を助けないような国はヒンシュクものだ、日本を助けた方が自分の国に得がある、とこれまたなるべく多くの国に思ってもらう努力が要る(別にこれもぜんぜん情けないことじゃなくて、必要なことだと思う)。その努力に役立つのは、自衛隊9条と非核三原則を持っている日本と、軍隊と膨張した軍事予算と核兵器とを持っている日本、果たしてどっちだろうか。

冷笑されバカにされる「お気持ち」の部類に入るのか分からないが、私には結局諸外国からの信頼が、どんな兵器にもまさるように見える。いっぱつぼかんとやって終わり、ならどんなに単純でよいのかと思うが、そのあとも世界は続いていくからだ。また、現代国際社会の一般として、戦争は「いっぱつぼかんとやって勝った方が勝ち、終わり!」という価値観を持つ国がどう遇されるか。「いっぱつぼかん」の中に、自国のみならず他国の人命のことをどれだけ思いえがけるか。それが分からない国は世界中から国交を断絶されていたりはしないだろうか。

 

もっと手前の話になるが、日本はどうやって核兵器を手に入れて、どこでどうやって持っておくつもりなんだろう。原子力発電所だって、ウランは輸入しないと手に入らないし、高速増殖炉もなく、自国で再処理もできない。

核兵器を手に入れたところに「想定外の大地震」がきたらどうするんだろう。

「そんなことは気にしてもはじまらない!気合と根性でなんとかするのが日本人だ!」とは自称現実主義者のかたがたは言わないだろう、だって理念とお気持ちを何よりも忌避する自称現実主義者のかたがたなんだから。いや、言うのかな。「地震核兵器誤爆して国民が被ばくするぐらい大した問題じゃない!国民は偉大なる国家を守護する礎となるのだ!」とか言っちゃうのかな。国家ってなんだったっけか。「現実主義」という字ヅラがゲシュタルト崩壊しそうだ。

 

そんなわけで、私は日本の軍拡も核兵器も抑止力にならないと思うし、日本が軍拡も核兵器所持もできないと思っている。

 

 

 

 

次に、

③日本が軍事力・核兵器を有効に使用できるとは思えない

と思うのはなぜか。

軍事力も核兵器もすべて、扱うのは人間だからである。

日本にはそんな人材はいないと思う。

日本人が劣っているというのか!日本人をバカにしているのか!と思う人もいるだろうからもっと正確に言うと、

「今の日本では、軍事力や核兵器を適切に扱えるような人材は、軍事力や核兵器に関して決定権を持つ立場には存在できないだろう」

と思っている。

 

まずは、国民の半分から人材を探さなければならない。なぜいきなり半分にしたかというと、今の日本ではほとんどの女性は有望な人材としてはみなされないだろうからである。議員の男女比であるとか、大学入試の点数を性別に応じて故意的に調整するとか、女性が仕事をするための環境とか、さまざまな事実から見てもそれは確実なことだろう。

オンナが努力不足なのが悪い!出世する女性もいる!とか、オンナは生まれつき男に劣る!現状は当然のことだ!とか、男を批判して分断をあおろうというのか!とか、子供を産む方が大事だ!とか、ぜんぶ嘘だ!とか、今はいろいろ思っていてもらってかまわない。誰が悪いとかそんなのは今は問題にしてなくて、とにかく泣こうがわめこうが、

我が国の人材探しは国民の人数を半分にしたところからはじめなければならない

という単純な話だ。

 

そこから、障害を持っている人、外国にルーツを持つ人、同性愛者であると表明している人、ものぞかねばならない。それぞれの人たちの置かれている現状を考えれば、おのずとそうなるだろう。

○○が努力不足なのが悪い!出世する○○もいる!○○は生まれつき(以下略)と今は別に思っていてもかまわない。誰がどう思っていても、これで人材は国民の半分からさらに減った。

 

各分野の専門家ものぞかねばならない。今のこの国が専門家を軽視していることは、コロナ対策や学術会議の処遇や「歴史戦チーム」なんかを見ていてもはっきりしているので、研究や事実を曲げて政府の言ってほしいことを言える専門家以外は人材とは見なされず、かえって専門家(インテリ)がその専門性を生かせず雑用や塹壕掘りをしている姿を見て手を叩いて喜ぶような人もたくさんいるだろう。

けっこう減ったな。

 

残った男性の中から次は、20代、30代、ほとんどの40代を脱落させなくてはならない。

忘れている人もいるだろうから再度書いておくが、ここで探している人材は一兵卒ではなく、あくまでも「軍事力や核兵器に関してなんらかの決定権・裁量を持つ立場に立つ人」である。

これまた議員や会社役員の年齢分布などを見ればおのずとそうなるだろうし、他人を批判するのに「若いからダメだ」と言ったり、人を評価するのに年齢を取沙汰す局面は、働いている人であればだれでも実感として身に覚えがあるのではないだろうか。

経験が大事だからだ!それが日本だけだという証拠でもあるのか!ないに決まってる!

 

そうですか。

 

まあとにかく、残っているのは50代以上で、障害を持たず日本のみにルーツを持ち異性愛者であり、政府の見解に決して異を唱えない男性のみになった。20222の人口統計だと、50代以上の男性は人口の2割程度。そこから障害を持っていたり外国にルーツがあったり同性愛者であると公表している人をのぞき、さすがに100歳じーちゃんを働かせるわけにはいかないからそれものぞき、健康に問題を抱えていて働くどころじゃない人ものぞかなければならない。それに、政府はないと言っているが研究に基づくと、強制労働は確かにありました!とか言うような人も更迭しないといけない。大忙しだ。

 

私は単純に少ない選択肢から選ぶよりも多くの選択肢から選んだ方がよりよい結果が得られると思うのだが、理念とお気持ちを何よりも忌避する自称現実主義者のかたがたはそうは思わないのかもしれないし、少数精鋭だ!とかえって喜ぶのかもしれないし、もっとその手前で、「人材に入れてもらえないのは○○が悪いからだ!××が悪いからだ!自業自得だ!」ってすっごい大騒ぎしてるかもしれない。私にはその大騒ぎが何かの役に立つとは思えないのだが、なんか知らんけど現実的なんだろう。なにしろ理念とお気持ちを何よりも忌避する自称現実主義者のかたがただ。面構えが違う。
 

さて、残った人たちだけでさっそくやりくりをしていこう。

ためしに、核兵器を所有するところから。政府の見解が「手はじめに核共有してみよう」というものだったとする。

おそらく「核共有は日本にメリットがありません」と異を唱える軍事専門家が出てくるだろう。

大変だ。政府の見解に異を唱える専門家に変身してしまった。

 

…人を減らすことばっかり考えなきゃいけなくて気が滅入っちゃうのでやめますね。

 

この残った人たちで、核兵器が抑止力として機能する魔法のような外交とか、戦略核をもっとも有効に用いるための奇跡のような戦略とか、最悪核兵器を使わなければならなくなったときに、それを正確に達成するためのクリティカルな作戦行動とかを考えなくてはいけない(ミサイルは撃ちゃあ必ず目指したところに当たってどんな国難も万事解決、というような簡単なものではないですよね)。

私は無理だと思う。

だって「軍事力や核兵器を適切に扱えるような人材」を選ぼうと思って選んでなくて、「生まれつきの性器の形が条件に合っているか」とか「偉い人の言うことを黙って聞けるかどうか」とか「生まれて何年たってるか」とかの条件がまず先にくるんだもん。誰だれの息子であるとか、何なにの家柄であるとか、そういったことも含まれてきそうで、いずれも本人の資質とは全く関係ない。そうやって全然関係ない条件で選ばれた人たちに期待するのもお門違いだろうし。

 

戦時と平時は違う!という人もいるかもしれないが、私は戦時は平時の地続きにあると思っている。

 

他にも、軍事予算を増やしたとして、それが適切に使われるのだろうか、軍事予算の支払先にナゾの会社が何社も入ってきたりして、この防空頭巾で空襲をしのいでください!って各世帯に防空頭巾が2枚ずつ配られたりしない?とか、兵器の受発注とか軍人の登録とかまさか謎エクセルとかFAXでやって関係各所がパンクして機能不全になったりしないよねとか、国民皆兵制になった場合にアプリでラクラク登録!とかやるけどスッカスカな使い物にならないアプリで、開発資金がどこにいったか分かんなくなってて、結局何枚も手書きで書類を書かされたりお役所に長蛇の列で並ばなきゃいけないのかな、とか、万が一政府高官の子弟が不当に徴兵を免れている!という疑惑があったら、管理書類は全部鉛筆で書いてて間違って消しちゃったんで事実は分かりませんとか言われんのかな、などなど、考えは尽きない(今書いたことが書いたとおりに起こることを心配しているわけではないですよ、念のため)。

 

理念とお気持ちを何よりも忌避する自称現実主義者のかたがたは、ひとたび戦争が起これば、その瞬間からたちまちすべての予算は適切に使われるようになりすべての自治体のITインフラは急速に発達し、今とは全く違う日本に大変身するのだ!と思っているのかもしれない。

 

私にはにわかに信じがたい。たぶん、私が「現実主義者」じゃなくて「頭がお花畑」だからなんだと思う。

 

とにかく、私は日本が軍事力・核兵器を有効に使用できるとは思えないと考えている。

 

以上が、私が軍拡や核武装が無意味だと思うようになった思考過程である。

長くなったのでいったん置く。

 

次は、私が「SNSで戦争反対を表明することを無意味だと思わない」と思うに至った思考過程を書く。